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今日アートに取り組む人間も若い世代の人が徐々に増えてきて、第二次世界大戦なんて親やその前の世代の話し、と片付けている人が殆どと言えるかもしれない。しかし戦争の記憶は決して忘れ去ってはならないもの、親は子にまたその次の世代に語り継いでいくことが必要だと思う。何も先の戦争が中国が言うように日本の一方的な侵略戦争だというつもりは毛頭ない。むしろそのような間違ったプロパガンダに惑わされることなく、事実を冷静に受け止めて、人が人を大義名分の下に平然と殺していたことを反省すべきだろう。
白川さんの中にも戦争の記憶が生々しく息づいているようで以下のような文を送ってきた。 「今回のデッサンでは線、色がまざり、とけあって、不定形で生成して行く状態、記憶も同様に、過去のものでも現在で生成され直して行く現在形です。僕の記憶には朝鮮に向かって飛んで行く双胴のアメリカ軍の輸送機や小倉の駐屯基地が残っている。洞海湾の防波堤の先には旧海軍の巡洋艦がコンクリートづけになって残っていた。戦争の物質的記憶は僕の幼年期に残っている。長崎の原爆は本来,北九州に投下する予定だった。もし北九州に投下されていれば、白川昌生は地上に存在していなかった。僕にまつわる一切が初めから存在しなかったはず。戦争は僕の存在の意味、可能性そのものと深く関わっている。反対を言うこと以前に、僕の存在の一部に戦争があることを僕は感じ続けている。いまもその記憶が生成されている。 僕が生きていることが、いかに戦争と切り離せないか。見続けなければならないか。無関心ではすまされない。今回のデッサンひとつひとつを語ることも出来るが、しかし色がとけあって言葉では表現できないように、ここでは美術的な方法で生成状態を見せることが出来る」。 このように美術家は直接的ではなくとも、自分独自の方法でその意図を表明することが可能です。戦争なんて関係ないよその世界のことと平和ボケに浸りきっている日本の若者たちは思っているかもしれないが、いったん外国に出ればその考えが如何に浅薄なものだったかを思い知ることになる。60年前の戦争だけが戦争ではない、今、現在も世界の中では戦争が進行中だし、それがいつわが身に降りかかってくるのかは誰も知らない、自分だけは安全だ、という保証はどこにもないのだから。
by yamaneartlab
| 2009-01-30 13:14
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