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[Crawler]というタイトルが付けられたこの作品、一見すると大きなネックレスかブレスレットといった装身具に見えないこともありませんが、実はサイズ的に言うと長径47cm短径33cm、厚さが2~3cmもあり、しかも中空ではなく無垢の作品ですから重くてとても身体につけることなど出来ません。
しかしながら作品の奥にある照明をつけると全体がきらきらと輝いていかにも装身具のようなイメージが顕著になります。伊藤さんの作品には珍しく全体が光沢を持った作品なので照明の効果と相俟ってそういったイメージが強調されてしまうのでしょうが、そういった効果を狙って展示したのは作者本人ですからこれが正しい見せ方なのでしょう。 ところで、[Crawler]という不思議な題名ですが、英語の意味としては「這う者」「クロールで泳ぐ人」俗語としては「おべっか使い」といった意味になりますが、私としては「おべっか使い」を採用したい感じです。というのは一見きらびやかな輝きに包まれていても、その裏では何か人に言えない隠し事、暗い側面を孕んでおり、それを悟られないように表向きだけでも華やかに、明るく振舞わざるを得ない人間そのものの姿を示しているようにも受け取れるからです。 しかしながら全面的に研磨されたブロンズはそんなこととは関わりがないように、端整で自信に満ちた貴婦人のような雰囲気を醸し出しています。具象的な形を持っていないからこそ生み出すことの出来る作品としての効果、そんなことが十分に感じられる逸品です。 #
by yamaneartlab
| 2010-12-04 18:46
遅きに失した感はあるが、今日から伊藤一洋作品を取り上げ、私なりの解釈を述べていきたいと思う。
先ず最初に、壁に取り付けられた[Across the Universe]という作品。しゃがんだ状態で肉をそぎ落としたような脚部だけを切り取ったような形態が唐突に眼に入る。それが壁から突き出したように展示されているから一種異様な印象を受ける。しかし見る角度を変えてみると全く違った形となってなんとなく生命感を取り戻すことが出来るようだ。 この作品のタイトルは[Across the Universe]。作者の考えによると自作を3つの類型に分類し、一つはこの作品を含む「Liquid Golden Baby」シリーズとし、現在の地球上の生命が滅んだ後に現れる新しい世代の生き物を想定しているという。 なるほどそういった観点から見れば肉をそぎ落とし、必要最小限の形態のみで我々と同じ運動機能を持つ生物が現れても不思議ではない。というより酸素も水分も希薄なことが予想される未来の世界においてそれは必要欠くことのできない合理的な形態を予感しているものかもしれない。 しかしビートルズ世代の我々から見ると、この作品タイトルから連想されることはアルバム<Let it be>に収録されているあの名曲に行き当たる。“プール一杯の悲しみ、波のような楽しみがいつも私の開かれた心をよぎって漂っているけど、何物も私の世界を変えようとはしない。宇宙を越えてそれらは逃げ去ってしまう” このように掴みどころのない何かを変えられる手がかりがいつも寸前でどこかに行ってしまうもどかしさ、けど何処かそれを期待してしまうそんな不安定さが、高度成長期にあった日本でも大いに受け入れられ、(当時の)若者を虜にしていった、そんな時代が思い出されます。 #
by yamaneartlab
| 2010-11-24 17:26
3月2日(火)本来ならばお休みの日ですが、中西さんが関西からやってくる、ということで、急遽アーティストトーク、レセプションを開催しました。
皆さん「ストライプ・ドローイング」の制作方法に関しては全くどうしているのかわからず、非常に興味を持っていたようです。今回展示しているくらいの大きさならまだなんとなくちびりちびりと鉛筆を動かして縦に平行線を引いていくのだろう、くらいのことは想像がついていたようですが、徳島で制作したような高さ5mの壁一杯に描くのはどうするんだろうと、誰しも思っていたようですが答えは意外と原始的というか素朴というか、五円玉を紐に結んで垂らし、それと平行に縦ラインをリフトを昇降させながら描いていき、結果全身筋肉痛になってしまった、という悲しくも滑稽な裏話を語ってもらいました。 そのほか今回の作品とは全く別のスカパービル(Sky Perfect TV本社ビル)のパーマネントインスタレーションの作品とか豊田市美術館で現在開催中の「知覚の扉」に出品しているスライドフィルムによるレイヤー作品全作品とかも映像で紹介してもらいました。 さらに昨年福岡市美で発表した動画によるレイヤー作品のコンセプトなども解説していただき、なぜ動画がレイヤーなのかということもよくわかり、皆さん納得していたようでした。 大学で彫刻を専攻した中西さんですから彫刻作品の話も面白く聞かせてもらい、現在制作している作品群との関連なども明確になりました。 そのあとは焼酎をメインとした宴会の始まりです。関西は日本酒の本場(灘、伏見)ということでいまだに焼酎は蔑視されているようで、なかなかいい焼酎が手に入らないということで、関西に住む中西さんのためにそういう選択となりました。皆さんよく飲んでよく食べ、よく喋り、非常に楽しい時間をすごすことが出来ました。 [写真上はスカパービルのインスタレーション。よく見るとストライプです。下は楽しい宴会の様子です。真ん中が中西さん。] #
by yamaneartlab
| 2010-03-04 19:05
前回ご紹介したのとは別の形のレイヤードローイングもあります(数から言うとこちらの方が俄然多いと思います)。
出来上がったものを見る分には実に簡単。要するにカメラにポジフィルムを入れて、被写体を時間の経過の中で何回も撮る。この行為を繰り返し、写真屋さんに持っていって現像してもらい、マウントされて返ってきたものを積み重ね、固定して光箱の上に並べる。これだけの話ですが、これはまさに“コロンブスの卵”的な見方で、こういった方法を思いつく発想が素晴らしい、というもの。 アートとはやはり誰もやっていないこと、新しい表現を追及してそれを具体化することに意義がある、ということを改めて感じさせられる作品だと思います。これは時代を遡って考えてみてもいえることだと思います。例えば何故にレオナルド・ダ・ヴィンチが天才だと言われるのかを考えてみればよくわかります。イタリア・ルネッサンスの時代にあって、ジョットやマザッチョといった先達がいたにせよ、透視図法、遠近法といった科学的な描写法をより完璧なものとし、先達たちが達成できなかった二次元平面における立体的表現に到達できたことに意味があるのです。さらにヨーロッパにおいては北方に端を発する油彩画をいち早く取り入れ、それまでのフレスコ、テンペラに見られた製作過程の制約、作品の脆弱さから絵画を解放し、より自在な制作方法を確立したことも特筆すべきといえましょう。但しあの有名な《最後の晩餐》(=サンタ・マリア・デッレ・グラッツィエ修道院/ミラノの食堂に描かれている)に関しては油彩画で壁に直接描いたことが失敗でした。壁画を油彩で描くということも誰もしていなかったことですが、こればかりはあまりにも無知だったとしか言いようがありません。完成直後から剥落が始まり、さらには第二次世界大戦中爆撃から守るためにその前に土嚢が積まれ、湿気を大量に含んだため殆ど見えないくらいに劣化してしまいました(私が最初に見たときはまさに殆ど形が見えないくらいに傷んでいました。そのせいかどうかは知りませんが入場料などはナシ)。 それはさておき、中西さんのこのスライドフィルムの作品はまさに先例のない実にユニークな制作方法といえます。写された対象は海の波、木立、ろうそくの炎といった至って日常的で、何処にでも見られるものですが、一枚一枚全部違う形のものを定着し、それを24枚重ねたものを光に透かして見ると、全く違う幻想的で、どこか遠い世界に誘われるような感じに陥ってしまいそうです。この感じは実際に現物を見てみないとわからないものですから是非一度足を運んでみてください。 #
by yamaneartlab
| 2010-02-13 16:28
今回出品されている「ストライプ・ドローイング」は去年の11月から12月に掛けて制作された新作ばかりです。
ストライプ・ドローイングとはあまり一般的ではない言葉ですから、知らない人、見たことのない人は一体どんなものだろうか、と想像力を働かせることになるでしょう。実際、私のところに訪れて現実にストライプの作品を目の当たりにした人の中には、墨絵と思い込み、墨絵にしては濃淡のない作品だな、と言った人もいるくらいです。 確かに墨絵のように見えないこともない作品ではありますが、作品に近づいてよく見るとそのタイトル通りに、鉛筆によるストライプが等間隔で描かれ、白い部分は紙の地の色のままに残されていることがわかります。しかも鉛筆による縦の線はフリーハンドで描かれているため、多少の歪みや濃淡の変化、入れの部分と止めの部分のニュアンスをはっきりと見て取ることが出来ます。 物理的には鉛筆によって線が引かれており、通常ならそれ自体が何がしかのものを示す形となっているのが当たり前でしょうが、中西作品においては線そのものが何かになっているわけではなく、平行に引かれた線が集まってはじめて何らかの形となって可視化されているのです。 左に示すのは今回の出品作「Stripe Drawing _ Circulation」で、57.5×76.6cmという大きさのものです。これを全体として遠くから眺めると、池のうえで氷の上に積もった雪がだんだんと融けていっている、或いは大きな船が通ったあと波が泡立っている、といった自然の現象のように見えたりもしますが、その部分を拡大した図(下図)を見て見ますと単に垂直に引かれた線が集積しているだけだという事がわかります。 結果として私たちは、画中に何らかのものの形を見出すことが出来るのですが、しかし単に線を引きながら最終的な形を想定して描いているのでしょうが、それは一体どうやってできることなのか、凡人には想像がつきません。 3月の第1週くらいに中西さんが福岡にやってきますので、そのときにトークをしてもらい、その秘密を明らかにしていただこうと思っています。 #
by yamaneartlab
| 2010-02-06 17:12
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